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嬉しい感情の向こう側にあった光

昨日の記事を読まれた方ありがとうございます。

旅する写真館from福島の黒羽です。


昨日の記事↓

あっきー ネギ掘ろう まだ読んでいないよって方はぜひ上の青いリンクから。


要約しますと、ご縁あって須賀川の農家さんに呼ばれてネギの収穫にカメラを持って行ってきました。

そこでは毎日畑と向き合い、汗を垂らしながら夏も冬でもとにかく美味しい野菜をつくることを一生懸命な設楽(しだら)さんという方がいらっしゃって、仲間や地域の人々と多様な触れ合い方をしていました。

そして昨日ちょうど、とあるファミリーが設楽さんの農園に遊びに来てくれて、差し入れと手紙が入った袋をお子さんが設楽さんに渡されていて、それを設楽さんが心から嬉しそうに読んでいました。




その時にすーっとあたたかいものを感じました。

そのあたたかさが今回の記事の対象です。


 

僕が2020年にスタートした旅する写真館from福島は出張専門の写真館として、ご依頼者さまの好きな場所に伺って撮影して、その場でプリントして差し上げるというコンセプトの事業です。

(出張カメラマン+印刷屋さん)

そこでは様々な人の笑顔を見せてもらいました。

明るい写真も、時に立っているのがやっとなぐらい感動に震えての写真も、色々ありました。

そんな時にお客さまからいただく報酬の他に、感謝のメッセージをいただけることもあります。

なんだかいいことをして、喜んでいただいて、自分も嬉しい。

そう思うのが普通なのでは? だとして、僕にはその時に素直に嬉しい感情が感じ取れないでいることがありました。

嬉しいのに、喜んでいるはずなのに、穴の空いた浮き輪のようにちょっとずつ沈んでいく感覚、これってなぜだろう…

つまり、うまく受け止めれない時がありました。

そんな時は、自分が目指している写真の世界が合っていないのかと勝手に悩んだり、ある時は努力が足りなすぎると自責の念に囚われることもありました。


「撮ってくれて本当にありがとう」とメッセージをいただいて、そんな時にどう感じるかは人それぞれあるかと思います。

僕の中ではその生々しくて、おそらく様々な感情が含まれているありがとうを、全身で受け取りたいし、素直に受け止めたい自分がいました。

した? あれっ

そうなんです、実は最近少しずつかもしれませんがそういう場面で、ご依頼者さんに何気なく「あの時実はものすごくハードル感じながら撮ってましたよー」とか

「被写体さんとの距離や向き合い方を大切に感じ取りながら撮っています」など、普段自分がものすごく大切にしていたことを口に出すようになっていました。

すると、不思議なことに心があたたかくなっている感覚に。

もしかしたら撮影者はあくまで影として存在する。のような認識って、元を辿るとテレビ局のADをしていた時代からの名残かもしれなくて、そんな感覚でいると嬉しい感情の向こう側に気付けないことがあるんだなと思います。

こうして自らも徐々に光を放つことが、写真の文化がより盛り上がる要素なのかもしれません。

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