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光るとき



こんばんは!

旅する写真館from福島の黒羽です。


僕は1988年の夏に生まれ、晃成(あきなり)と名付けられました。

今回はそんな自分の名前の話です。


もしかしたら、人当たりが良く、好かれやすい、でもどこか満たされない感覚の人には少し参考になる記事かもしれません。


 

名前の由来


晃成の由来は「日の光に成る」と親から教わりました。


日は太陽、その光で明るく周りを照らす、そんな人になれるように。

僕はなんとなくこんなふうに捉えて生きてきました。


だからなのか、なにか頼まれたら100%で応えたい、いやもっと喜んでほしい、そんな想いを胸にこれまで人を照らすことにエネルギーを燃やしてきたのかもしれません。

サービス精神、または喜んでもらいたい精神が強いぞ、ってことです。


周りを照らすことに一生懸命になるうち、なんだか消耗していくなぁと思う自分もいました。

当然のことを言っているのだと思うのですが、最近までそれにすら気が付かずにいました。

人のために頑張ることが自分のためになるのだと言い聞かせていたのかもしれません。


 

晴れ男と雨女のような夫婦


そんないつも晴れ男!みたいな僕にも転機が訪れました。

僕が良かれと思ってすることを、必ずと言ってもいいほどに心配し、時に止めてくれようとする妻との出会いです。


最初は恋人として、僕が一方的に好きすぎてサプライズや喜ばれることをたくさん考えて色々なことを散々しました。

その頃を振り返ると、喜んでくれていた妻はもうそんなに要らないよ。無理せずに自然でいんだよって思っていたのかもしれません。


そんな妻はいつも僕の方向と正反対の方向を指さす。

僕は内心いつもそれが不満でした。

仲は良いけど。


そんな妻と最近なんだか険悪ムードに。


 

事の発端は妻がこれまで僕に何度も気づいて欲しいと送ってくれていた思いを受け止めきれず、直視せずにいたことや、僕が頭の病気を抱えても、それでも無理しがちなことなどで、毎日疲れた顔をしているのがきっかけでした。


その時の僕は妻の疲れ切った顔を見て、なんでそんな顔をしてるか正直言って意味がわかりませんでした。


だって家族のために無理ぐらいするだろうという強い思い込みがあったから。



思い込みは脆くて儚い夢のよう


子どもたちが寝たあと、妻と何度も話合いました。本当に何度も何度も。

何年かかったかな、気づくのに、、、

僕は誰かを照らすために光続けていけば良いと思っていたけれど、そうじゃなかったみたいです。


ある夜のふたり。

しばらく時間が止まるような感覚があって、妻が何かを伝えてくれているなとぼんやり聞いていたら、はっきりと聞こえてきた言葉。


誰のことも照らさなくていいんだよ。

そして、光らなくてもいいんだよ。


この時

いつもの妻の声とはどこか違うように聞こえた気がして、これまで断片的に受け止めていた妻の思いやメッセージがすべて繋がりだしました。


ライトのように誰かを照らそうとしていた僕を、最大限尊重してくれながら、否定しているわけでもなく、ただそれだけを伝えてくれていた。


その夜の出来事は

強迫観念のようになっていた僕を救ってくれたのでした。


 

というお話しでした。


最後に、僕自身はしばらく休養の時期に入ります。


どこへ向かっていけば良いのか

どこを見ながら歩くのか

そもそも目的地が見つからなかったとしたら、、、

そんなイメージも浮かぶこともあるけど、とりあえず元気です。


妻との対話で生まれたこの安心感があまりに久しぶりな感覚で、どうか忘れないようにと書いてみることにしました。


共感や、いいなと思っていただければ嬉しいです。

それでは。

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